青の缶、白の缶

金麦はかなしからずや青の缶、白の缶にも麦の絵揺れて
われの青、君の糖質オフの白 並べば夏の空のごとしも
田口綾子

 田口綾子「発泡酒」(「まひる野」2016.10)より。

「金麦」は発泡酒の名称(と、わざわざ注記するところがわたしいかにも下戸っぽいですが)。
 一首目は若山牧水の〈白鳥(しらとり)は哀(かな)しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ〉をふまえているわけだが、この「かなしからずや」はちょっと難しい。わざわざひらがなにしているから、もしかしたら「愛(かな)し」で読んで、反語で意味をとって、「かわいらしくないことなんてあろうか、いや、たまらなくかわいらしい」といったふうに読むべきかもしれない。この場合、擬人化された「金麦」自身がそう思っているということではもちろんなくて、「金麦って、わたしたちにとって、ほんとにかわいらしいものですよね」というような話になる。あるいは、そのまま「哀し」で読んで、「正式なビールじゃないのに、たいそうな感じで麦の絵を掲げられてしまって、「金麦」も哀しいね」というようなことか。

 まあいずれにせよ、「金麦」最高! ということだと思う。

 さらに二首目も、牧水をふまえて読めばよいのだろう。ここではふたつの〈あお〉が対比されているのでなく、「青」と「白」が対比されている。通常のものと比べて糖質を75%カットしたという「金麦」の缶の色は、確かに白をベースにしています。
 牧水の歌においてふたつの〈あお〉は、近い色合いでありながらそれぞれ異なったものとして描かれている。「金麦」の青と白はもちろん、それよりも明らかに別々の色だ。
 
 その青の缶と白の缶、ふたつが並ぶと「夏の空」に見えるのだという。
 空のあざやかな青と、大きく立ちのぼる雲の白。

 ふたつの缶が、別々のふたりが、ひとつの景としてそこに現れるわけだ。

 ほとんど執着とも思えるような「金麦」に対する思い入れや、健康面で何か気にしているのか、「われ」とは違って「糖質オフ」の発泡酒を飲む「君」……たっぷりのユーモアの中に、明るくゆたかな関係性をもって「われ」と「君」とが提示されたのである。

 さらに余計なひと言を付け加えるなら、牧水のふたつの〈あお〉は、色が似通っていたからこそその違いがより際立ったのではないか、そして青の缶と白の缶は、あまりにも色が違うからこそひとつのものとして再定義できたのではないか、ということ。
 まったく異なった存在だからこそ、むしろひとつになることができる。そしてそれが〈ひとつ〉であるかどうかは、ふとした拍子に、自分たちの外側から眺められてはじめて自覚できることなのかもしれない。

 ふたりは別々のまま、混じり合うことなく、けれどもたしかにひとつに見える。
 目の前の小さな景が、夏の空となって、どこまでも広がっていく。

 ということでこれ、本当に素敵な恋の歌だなあと思って僕は読んだわけです。もちろん恋に限定する必要はないのですが。

 最後に、これらの歌を含む一連8首をすべて引いておく。田口さんの歌については、この一連の他にも引用して語りたいことがいくつかあるのだが、それはまた機会をあらためて。

   発泡酒
八月ののどに流せば夏の先へすこし冷えゆくビールと思ふ
秋立つといへば吹く風、秋立つと言はねば胸に留まれる風
プルタブを片手で起こすわれを見てかつこいいねと君は笑ひつ
金麦はかなしからずや青の缶、白の缶にも麦の絵揺れて
われの青、君の糖質オフの白 並べば夏の空のごとしも
宮城県名取市に君は納税しヱビスビールを一箱得たり
恵比須様も君もほほ笑みてゐたりけり金麦を馬鹿にするにあらねど
立秋のビールはのどを流れつつ夏から秋へ酔ひを運べり
田口綾子
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